最後のビルマ王朝時代に英国が設立したのが旧イラワジ汽船会社(イラワジ・フロティラ・カンパニー、IFC)です。第2次世界大戦前には英国製の船を中心に650隻もの大船団となり、船腹数では世界一の船会社でした。
日本軍のビルマ侵攻を前に、敵に利用されないよう船は全て破壊され会社は解散しました。
終戦直後、何隻かが英国で建造されイラワジ川で就航しましたが、ビルマは独立し、会社が戦前のように復興すること事はありませんでした。
Paul Strachanは仕事で初めてビルマを訪れ半年滞在、以来ビルマに魅せられ帰国後に大学に進みビルマ史を学ぶ。
1984年から何度かビルマに留学や滞在し、歴史、文化、芸術を研究、1987年”Pagan”を皮切りにビルマに関する12冊の本を執筆、自ら興した出版社から出版した。(”Pagan”,“Mandaley”は今でもAmazonで販売)
1993年ビルマに戻ったポール・ストラッチャンと妻ローゼルは、1995年再びIFCを設立。ミャンマーで新しく建造された船をチャーターし、戦後初めて欧米観光客向けのリバークルーズを始め、冒険好きな新しい世代の旅行者に大人気となる。
ストラッチャンは、マンダレーの船着場で見つけた1947年英国製の古い貨客船を借り受け、戦前の写真、図面、元船員の話を元に栄光の船団IFC時代の雄姿に復元した。
乗客定員32名、すべて1等船室の高級客船として生まれ変わった船はPandaw(パンダウ)号と名づけ1998年イラワジ川で再び進水、ユニークなコンセプトとレトロなコロニアルスタイルのクルーズは英国でたいへんな人気となり、支流のチンドウィン川にも進出した。
ストラッチャンは次にメコン川にパンダウのコンセプトを持ちこみ、ベトナムのホーチミンとカンボジアのアンコールワットを結ぶコースを設定、メコン川下流で初めての本格的クルーズとして運航を開始した。
パンダウは、川で国境を超えてクルーズすることを可能にした。同時に、増水期には初めてクルーズ船でトンレサップ湖の縦断にも成功した。それまではスピードボート以外での通行はできなかった。
ボルネオ島のラジャン川とインドのガンジス川のクルーズを開始、美しい風景と豊かな文化を育むアジアの川旅の可能性を広げたが、安全と運行の問題により中止された。
ベトナム北部の紅川とメコン川上流での航路を開発、所有する船も14隻になりました。
ラオスに新しい船を追加、ビルマ(ミャンマー)ではマレー半島沿いのメグリ諸島を周るクラシックなメガヨット、アンダマン・エクスプローラー号も就航した。
現在は、ミャンマーとベトナム&カンボジア、ラオス、ボルネオ、アンダマン海で16隻を運行、さらにアッサム地方、ペルーのアマゾンでは現地の船会社からチャーターして運航を開始した。
ガンジス上流と下流、インドのクルーズを再度運航。ミャンマーでRV Kanee 新造船を導入、ヤンゴンからマンダレーをクルーズ。